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2026年11月号P11
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下里豪志さんコラム (Vol.6)
たーけーダイアリー♪「斜め舞台もなんのその」
イタリア時代は面白い思い出が沢山。このコラムを通して私の見てきた景色が皆さんにとっても一つの記憶となったらと願いながら今日も綴ります。
まずはじめに、イタリアのホールの舞台が斜め事件。なんとオペラ大国イタリアでは客席から奥のキャストまで見えるように、舞台奥から客席側に向かってかなりの角度で斜面になっていることが多々…あろうことか私の通ったイモラ音楽院もそのタイプで。なのでピアノは右手が普段より低く、左が高い。ピアノは鍵盤を指で下ろしてはじめて音の出る楽器。なので、右手はいつもの感覚で弾くと鍵盤が底まで降りないので鳴らず、左手はセーブしないと勢い余って大きくなってしまいバランスの悪い演奏になる。なにかと踏ん張りたい右足は、ペダルを操作…よって、椅子から転げ落ちないために支えてくれるのは腹筋と強いメンタルだけ。このうち一つでも欠けたらばサヨナラチャオ?というかんじ。
イモラ音楽院はピアニストとしてすぐに演奏できる人材を育成する学校でした。なので、試験課題は50分のコンサートプログラムを2種類、オーケストラとの共演用作品を2種類、合計だいたい3時間弱の曲を覚えておき、10日前くらいにどのプログラムを弾いてくださいと言われます。
そんな過酷なイモラでのはじめての試験。師匠マルガリウス先生の厳しいレッスンに涙して帰る日も多々。それに、当時は引っ越し先が落ち着かずピアノが借りられなかったため、椅子の上でグラグラと揺れるキーボードで練習していたのでなかなかハードな状況。それで迎えた舞台は今でも忘れられません。
少し話はそれますが、昨今、物価高や円安に頭を抱える世の中。私たちのように留学経験者は円安ほど嫌なものはありません。だって日本で千円ゲットしてもユーロに変えたら現地価格の五百円くらいまでしかお買い物ができないんですよ…?
そんな中、思い出って何回思い出しても幸せだったり、お腹が痛くなるほど笑えたり、ちょっとしょんぼりしたり色々な気持ちにしてくれますよね。お金のかからない一番の娯楽じゃありませんか。皆さん今月は一息ついて、携帯の撮り溜めた写真でも見返してみてはいかがでしょうか。
文化の泉 宝物
学芸員という生き方 No.82
学芸員とは、博物館で働く専門職です。1951年に博物館法ができたとき、英語のcurator(キュレーター)の訳語としてできた造語です。わざわざ新しい言葉をつくらずに博物館専門員とかでもよかったのでは?と最近ふと思い、少し考えてみました。
美術、芸術、芸能、工芸…「芸」という言葉は、“魅せる技術”をさすような気がします。学芸員という言葉には、“学問や研究を魅せる技を持つ人”という意味が込められているのかもしれません。
実際、日本の学芸員の仕事はcuratorの役割にはとどまりません。欧米ではそれぞれ専門員がいる資料の収集保管、調査研究、展示、教育普及などの業務を一手に担います。それが良いことかどうかはさておき、モノを集めて守り、調べて、見せて伝えるという一連の流れによって、過去を今に伝え、過去から今にいたる積み重ねを未来に伝えます。学芸員は、研究とその証であるモノをときにくわしく、ときにわかりやすく魅せることを通して、広く理解を得て、未来へつなぐ役割を担っているのです。
そして、学芸員が次の学芸員へしっかりとバトンを渡すことで、学問は深まり、学びの裾野は広がり続けていくのでしょう。
しかし、守ること、積み重ねることは決して簡単ではありません。ときには新しいこと、変わること、キラキラしたものの影にある取捨選択に抵抗しなければなりません。一度捨てられ壊されたものは元には戻りません。守り伝える責任をもつ学芸員は、その学問的な重要性を叫び続けてきました。
今、私達の手にあるバトンは、人生をかけるほどの熱意と固い信念のもとに、南風原の歴史と文化を掘り出し、守り、広げてきた学芸員たちから引き継いだものです。まだ未熟な私達にとってはアチコーコーで重くて、持つのもひと苦労なバトンです。でもいつか私達が次の学芸員にバトンの渡すとき、しっかり渡せましたよと彼らに報告できるように、日々学芸員の仕事に責任と誇りを持って向き合いたいと思います。 (前城・玉城)
お問い合わせ:生涯学習文化課(文化センター) 889-7399










