本文
2026年9月号P11
P11
■ 下里豪志さんコラム (Vol.4)
たーけーダイアリー♪「ロンドンに行ったよ」♡♡♡
私は今ロンドンヒースロー空港から東京羽田空港へのフライト中です。 今回ありがたいことに、ロンドンで初めてのソロリサイタルを開催していただきその帰路。 記録的猛暑が話題となったロンドン、それが公演当日の昨日と、今日はぐっと気温が下がり18度くらい。 とくに、今朝空港へ向かおうと朝6時にホテルを出た瞬間、西側ならではの湿度の低いひんやりとした空気と、朝日に照らされた街が“体温”を上げていく特別な時間は胸がきゅうっとしました。
今回私がロンドンに来れたのは、思いがけない出会いからはじまりました。 今年一月知り合いのピアノの先生から突然のお電話。「緊急にご紹介したい方がいる」と。 ジョンランジ音楽財団のマイケルランジさんと、そのご夫人みさえさん。 マイケルさんの亡くなられたおじさまを記念して活動するこの財団はイギリス各地の若手音楽家に惜しみない支援をしているそう。そんな中、みさえさんとマイケルさんは沖縄出身のアーティストをロンドンで紹介できたらと夢も抱いていたのです。 Popsや郷土芸能は沖縄からたくさんの人が紹介されているけれど、その他にもアーティストいるよ!と世界に知って欲しかったそうです。
そこで私を探してくださり、共通の知り合いであり、今回ご縁をいただいた石川先生のご自宅で30分ほどのプログラムを聴いていただき、リサイタルの開催が決定しました。 沖縄に帰ってきて約10か月。まさかこんな夢のような形で戻ってこれるとは…イギリスは今ヨーロッパ連合から外れているけれど、大好きな“ヨーロッパの空気”を吸えて本当に幸せ。 色々な思いが込み上げてあっという間の4日間でした。
あ、そうそう前回訪れたときと変わっていたことが入国前にEtaというビザ申請をしておかないといけないことです。 携帯で簡単にできるのですが、これが厄介で携帯もしくはパスポートのICチップが古かったり、ネット環境によっては申請に大きく時間がかかることも! それに加えて申請後数分で許可通知がきたり、1週間以上かかったりバラバラな様相…。これを申請していないとロンドン行きフライトには乗せてもらえません。皆さんご注意くださいね!
■ 文化の泉 宝物 No.80
なぜ?与那原にあるのに「知念」高校?
南風原からも毎年多くの生徒が進学する知念高校。所在地は与那原町です。しかし、校名は与那原から離れた「知念」です。隣接しているわけでもなく、特に人口が多い地域でもないのに…なぜ知念?と、不思議に思いませんか。
この校名の由来は、今から約80年前にさかのぼります。 米軍は沖縄戦の最中、各地に収容所をつくり、生き残った人々を収容しました。知念半島にも収容所が設置されて一時的に人口が増加し、知念市が誕生しました。知念市には南風原を含む周辺地域の住民が集められ、人口は17,914人にのぼったそうです。そして、1945年10月に知念市の中心地だった志喜屋に知念高校が創立されます。その後、知念高校は各地を転々としながら、1949年に現在の場所に移転しました。現在まで変わらない校名は、戦後直後の混乱期の名残だといえます。
やがて、住民たちはもとの市町村に設けられた収容所に移動し、知念市は1年足らずで幕を閉じます。南風原の住民は1945年の12月から現在の与那原町大見武の収容所に移りはじめ、翌年の1946年夏頃からようやく各集落へと帰ることができました。
戦闘が終わってもなかなか帰村が許されず、収容所を転々とし混乱と不安の日々を過ごしたであろう戦後直後の人々。彼らがどのように現在の南風原の基礎を築いていったのか。帰村から80年の節目であり、南風原文化センター100回目となる企画展では、南風原の「戦後・ゼロからの再建」の時期といえる戦後直後の約5年間に焦点を当てたいと思います(前城)。
- 参考文献:『南城市の沖縄戦 資料編』『知念高等学校40周年記念誌』『沖縄県史 各論編6 沖縄戦』
【南風原文化センター 第100回企画展】
「戦後・ゼロからの再建」
- 期間:9月19日(土曜日)~10月27日(火曜日) 9時00分~18時00分(※水曜休館)
- 会場:南風原文化センター企画ホール(※企画展は入場無料)
- オープニングセレモニー:9月19日(土曜日)10時00分~
問合せ:文化センター Tel 098-889-7399










