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今回は、大正11年生まれの新垣フミさん(103歳)からお伺いした、戦前の南風原村における貴重な生活の記憶をご紹介します。現代の豊かな暮らしの礎となった、当時の知恵や互助の精神を振り返ります。
当時の主食は「芋」であり、生活の基盤は農業にありました。人々は丹精込めて育てた芋を那覇まで運んで売り、その代金で酒粕を購入して帰るのが日常的な仕事でした。
買ってきた酒粕は豚の飼育に役立てられ、貴重な家計の支えやタンパク源となっていました。また、那覇へ行く時以外は「基本的に履物を履かなかった」というお話からは、限られた物資を大切に使い抜く、当時の質素で力強い生活様式が伺えます。
一年の中で最大の楽しみは「正月」と「綱曳(つなひき)」でした。正月には、一張羅(いっちょうら)を身にまとい、親戚一同が自慢の料理を持ち寄って集いました。物資が乏しい時代だからこそ、食を分かち合うことで血縁や地域の絆を深めていたことが分かります。
また、綱曳の時期には、男性は綱編みや棒を使った演舞の準備に、女性は歌や踊りの稽古に励みました。地域が一丸となって伝統行事を盛り上げる当時の活気は、現在の南風原町に続く地域づくりの礎となっています。
新垣さんの修学旅行のエピソードは、現代の教育環境とは大きく異なります。当時は、名護方面まで鍋や布団を背負って徒歩で移動し、食料も現地で調達しながら、共同で自炊を行っていました。
修学旅行は、仲間と共に協力して生き抜く知恵や、集団生活における規律を学ぶ、実践的な「学びの場」としての側面を強く持っていました。
新垣さんの証言には、「食べ物を粗末にしない精神」や「地域で支え合う絆」が詰まっていました。
食が豊かになった現代だからこそ、かつての南風原の人々が大切にしてきた感謝の気持ちや、知恵を絞って生きる姿勢を、次の世代へ正しく語り継いでいく必要があります。 貴重なお話を聞かせてくださった新垣フミさん、誠にありがとうございました。
↑新垣フミさん