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【特集】南風原の石獅子

ページID:0014285 更新日:2025年11月13日更新 印刷ページ表示

石獅子トップ

石獅子とは?

「石獅子」とは、石を彫って造られた獅子(シーサー)のこと。今でこそ、県内各地で屋根の上や建物の入り口に置いているシーサーが主流ですが、もともとのシーサーは「石獅子」として地上に置かれていました。

起源は数百年前!

村や集落を守るため、悪霊や災いが入ってこないようにする”魔除け”として設置されました。

形や表情の違い

手作りでひとつひとつ造っていたので、形も表情もすべて個性的。
ちょっと怖い顔の子もいれば、なんだか面白い顔、ふっくら優しい顔など石獅子によって様々!

設置場所にも意味がある

村の入り口や三叉路、対立している集落に向けて、海側など「悪い気が入ってくる」と言われた方向を向いて自分たちの村を守るように設置していました。

南風原町の石獅子をめぐる

石獅子めぐり

南風原町には、町を見守るようにたたずむ石獅子があちこちに点在しています。静かな集落の中で、時代を超えて町を見守り続ける石獅子たち。にらみをきかせる勇ましい顔や、どこか優しげな笑みに見えるものなど見比べながら歩くのも楽しいですよ。

照屋の石獅子(A)・(B)

照屋の石獅子

字照屋にある2基の石獅子は本部集落(もとぶ)に向けられていると言われています。本部で作られた2基の石獅子の向く方向は、東風平にあった八重瀬町のヒーザン(火山)へのフーチゲーシ(邪気返し)と言われていますが、照屋の人々は本部の人々が故意に照屋に向けて石獅子を設置したと勘違いし、それに対抗するべく2基の石獅子を作って本部に向けたと言われています。
照屋と本部の間には水の問題をめぐってしばしば争いがあったと伝えられており、かつての両集落の関係を示唆する興味深い伝承です。

本部の石獅子

もとぶ

本部の南南西の方向にある東風平にあった八重瀬町に対するフーチゲーシ(邪気返し)の目的で造られたと伝えられています。東風平がヒーザン(火山)として恐れられていたことは、南部一帯に広く伝承されています。また、この石獅子は形態・表情が他の石獅子とくらべ大変ユニークな点も大きな特徴です。

兼城の石獅子

かねぐすく

この石獅子は、上間(那覇市)への邪気返し(フーチゲーシ)目的で造られたと言われています。もう一基あったと言われていますが現在は消失しており、一基を残すのみです。南部一帯にはヒーザン(火山)として恐れられていた八重瀬岳(やえせだけ)への火返し(ヒーゲーシ)として造られた石獅子が点在していますが、この兼城の石獅子が上間への邪気返しと言われているのは、当時の人々にとって八重瀬と同様に恐れの対象であったことがわかります。

 


 

いかがでしたか?

造られた背景を知ると、もっと興味深くなる石獅子。石獅子の文化も沖縄特有で面白いですよね。詳しい内容や場所については各ページでご紹介しているので、ぜひご覧ください。


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