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沖縄では珍しい浦島伝説が残っているのが与那覇です。
ウサンシー(穏作根子)は気品の高い若者でした。ある日、与那久浜(よなくはま)でかもじ(女性の髪に添えつける髪)を拾い持ち主を捜していました。現れた持ち主はとても美しいお姫様でした。姫はとても喜んでウサンシーを善人だとほめ竜宮へ招きます。竜宮では時の立つのも忘れるほど厚いもてなしを受けました。3ヵ月が過ぎた頃ウサンシーは帰ろうと思い立ちました。竜宮の神は「すでに三十三代という時間が経っている、ここで楽しんだらよかろう」と止めましたが彼は故郷が忘れがたく帰る事になりました。姫は名残を惜しんで「この紙包みを私と思い持ち帰ってどんな事があっても開けないでください」と手渡しました。
故郷に帰ったウサンシーを知る者はやはりいません。一人寂しく村の前の丘に登って行きました。そして姫からもらった紙包みを開けると中には白髪が入っていました。それがウサンシーの体につくとウサンシーは急に老化し死んでしまいました。ウサンシーはその場所に葬られ、その場所はウサン嶽(だき)と名付けられました。
ウサン嶽
標高51.7mの小高い丘陵にあり、東西に連なりムラの中でも重要な拝所(うがんじゅ)です。北側にはウトゥーシとよばれる遥拝所があります。クシヌモーからムラウチに向かって“おーい”と呼べばやまびこが返ってきたそうです。
ノロ殿内(ぬんどぅんち)は、村落祭祀を行う聖地です。ここに祀られているウコール(香炉)は、もともと宮城(みやぐすく)にあった仲屋と照屋(てるや)が祀っていましたが、現在は、ノロもいないので区長が代表で村落祭祀を行っています。
鍛冶屋の跡の火の神を中心に祀ってある御嶽だといわれています。カンジャーヤー跡(鍛冶屋跡)があった場所が当間原(とーまばる)だったため、そうよばれています。戦前は、シマヌ山とよばれる小高い丘の中にあったそうです。
言い伝えによると、昔は丘の近くまで波が打ち寄せていたといわれています。現に、井戸やボーリング調査では、貝がらや砂が出てくるそうです。この丘からは隣接する与那原町全体や遠くは知念半島、中城(なかぐすく)湾まで見渡せます。