民話/松茂良(まつもら)と牛・カシチ由来・綱曳きの話

2015年2月5日

南風原町の各字(アザ)には、昔から伝わる昔話や言い伝えなどの民話が数多く残っています。ここでは、宮城(みやぐすく)に伝わる「松茂良(まつもら)と牛」、津嘉山(つかざん)の「カシチ由来」、兼城(かねぐすく)の「綱曳きの話」をご紹介しましょう。各民話は、南風原民話の会のみなさんが、地元の方々に聞き取りを行ってまとめた貴重なものです。
(出典:「ふるさとの民話」第一集 昭和54年 南風原民話の会 刊)

松茂良と牛

昔は、王様の命令で、人間と動物が戦いをさせられることもあったそうです。松茂良という人は沖縄一の力持ちと評判がありました。そこでどの位、力があるか沖縄一の牛と沖縄一の力持ちが力競争をすることになりました。王様の命令、負けると分かっていても闘わずにはいられません。そこで松茂良は考えました、どうしたら勝てるかを。いろいろ考えた末、いい考えが浮かびました。相手の牛小屋に行って牛の目をひっかいてやったのでした。毎日毎日、牛の目をひっかいたので、松茂良を見ると、牛は後ずさりをするようになりました。そんな日を続けてとうとう勝負の日を迎えました。大勢の見学人が見守るなか、東からは松茂良、西の方から牛が太鼓の音とともに現れました。シーンとした静かな雰囲気、牛と松茂良が一歩一歩近づいきます。やがて相手の顔を見た牛は、身震いして逃げ出したのです。見学人の口々からは、牛でさえ沖縄一の力持ちにはかなわんのだねーと感歎の声が湧いたといいます。

松茂良と牛
 

カシチ由来

昔々、北山(ほくざん)王子の子孫が大里(おおざと)城の叔父さんを頼りにやって来ましたが、訳あって、南風原の字本部(もとぶ)のマンナというところの大農場に行くよう進められ、そこで牛買いの仕事を与えられました。何日か過ぎたある日、中頭(なかがみ)の方で牛を買って買える途中、急ににわか雨が降ったのでマンナは、牛を木にしばり、自分は墓の前に座って雨宿りをしていると、急に墓の中から何かがマンナの片頭を引っ張るのでマンナは全身が凍るような恐ろしさでぶるぶると震え上がりました。でも、気を落ち着けて、引っ張っている確かな物を握って、「あなたは生身(いちみ)なのか死者なのか」とたずねました。すると、糸のような細い声が「私は生身です。どうか助けてください、お願いします。」と繰り返すばかりです。マンナは「わかった。生身の手なら離しなさい」と言いました。そして、すぐに立ち上がってお墓の石をこじ開けて、助けてやりました。女は白い衣裳を着て、青白い顔で出てきて「私はウチンミ按司(あじ)の子です。実は・・・」といって墓に入れられた訳を話し出しました。マンナは急いでウチンミ城に行き、父親にこのことを伝えました。ウチンミ城では、七日忌の準備をしていましたが、これは命のお祝いだと言ってたいへん喜び、ナンカからお祝いの支度に早変わりしたのです。餅を作るためにつけてあったもち米は、赤飯にしてカシチーと名付け、それを契機にカシチー由来が伝わったといわれます。そして、この話しは王様のもとにも伝わり、「これはまた神様のしわざだ。本当によいことをしてくれた。立派なことをしてくれた」と褒美として、マンナに沈金のお盆をくださったそうです。今でもそのお盆は、家宝として大事に保管されているそうです。マンナは助けてやった娘と結婚し、兼城のウチンミ城の主になり、首里王府を守る役目を命じられ、活躍したそうです。その後、津嘉山に住むようになったということです。

綱曳きの話

南風原兼城の綱曳きは雨乞いの祭りです。ジヤーの口から火をふくのは、ジヤーや百足やヘビは水の神様と信じられているからです。それで、その日の御願(うがん)は、アミシヌ御願といって、部落全員が御願所に集まり、ごちそうを全員のものと掛け合わせて食べます。それは、ひとつの心になるという意味でもあります。その一つの心になるのにも、御願所で線香をたいて祈ります。その祈りの火を持ってジヤーに火をつけます。そして全員で、綱を曳いて雨乞いをするのです。

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