はた織りの音が響く、絣(かすり)の里、本部
集落内を歩けば“シャラーントントン”と、はた織りの音が響く、琉球絣の里、本部。多くの絣工房が立ち並びます。また、県内では唯一、全国でも2カ所しかないという織機屋「大城(おおしろ)織機製作所」が残っています。現在、選定保存技術保持者である、二代目・大城義政(おおしろよしまさ)さんがつくる織機はオリジナルのもので、全国から注文があります。
かすりの道・絣の村
かつて、本部の女性たちは小学校を出ると、母親からかすり織りを習い一生の仕事としてきた、かすりの名手たちです。伝統工芸である琉球絣は、先の沖縄戦で織り機も糸もすべてが焼けてしまいましたが、女性たちの織りの技だけが残りました。そして、地元の大工だった大城さんが見よう見まねで織り機を作ります。これが本部における絣織りの戦後復興の第一歩でした。また、1989年に整備された「かすりの道/かすりロード」は本部・照屋(てるや)・喜屋武(きゃん)にまたがる工芸の道で、道の両側に立ち並ぶ絣工房からのはた織りの音が風情を醸し出しています。
糸張り(糊付張り伸ばし)場
一見すると原っぱに子どもの遊具があるのかと思われるかもしれませんが、よく見るとピンと張られた糸があります。ここは集落内に2カ所ある、絣織りのための共同の糸張り(糊付張り伸ばし)場です。染めた糸をここで乾かして伸ばしてから機にかけます。
ガン屋跡の祠
亡くなった人をお墓まで運ぶときに使われる沖縄独特の「龕(ガン)」を保管した場所が「ガン屋」です。今でも旧暦10月には、当時への感謝の思いをこめ拝みをする行事が行われ、その日は山羊を食べる習慣が残っています。
本部おもしろ話「本部赤嶺(あかみね)」
その昔、首里王府の役人だった赤嶺は、十五夜など集落のお祝い事には村人たちを招き入れ交流する徳のある人物でしたが、ある日、王府の怒りにふれ、打ち首の刑に処されることになってしまいました。そこで赤嶺は獅子舞の獅子頭と死者を墓まで運ぶための「龕(ガン)」をムラに寄付しました。財産もすべてムラに寄付した赤嶺役人への恩恵は後世にも受け継がれ、集落の北側高台にある「本部赤嶺」の屋敷跡の仏壇もムラの人々で大切に管理しています。
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