兼城を舞台にした大狂言「カシチー由来記」はムラの伝統芸能として今も行事の際には演じられています。 約500年前、急死した兼城按司(かねぐすくあじ)の娘が墓の中で生き返り、それを牛買いの青年が助け出すという昔話です。 お祝いに赤カシチー(赤飯のおこわ)を炊いたことから、旧暦8月10日のカシチー行事の由来となっています。 今でも兼城では、カシチーの日には、赤飯と牛肉を味噌で味付けした料理を作り、桑の葉とすすきを結んだサンに牛の血をつけて、家の門や屋敷の四隅に差し、家族の健康と家内安全を願います。
カシチー由来記
内嶺(うちみね)グスク
14世紀後半、首里城から内嶺按司(うちみねあじ)が一族をひきつれて、丘陵上にある上殿内毛(いんとぅんちもー)内に内嶺グスクを築きました。 内嶺按司は、鍛冶を行い農業を推奨したといわれています。また、養子として跡を継いだ兼城按司(かねぐすくあじ)は、北山・攀安知王(ほくざん・はんあじおう)の五男・虎寿金(とぅらじゅがに)といわれており、北山滅亡後に内嶺按司に引き取られたのだそうです。
真南風之御嶽(まはえのうたき)
かつて内嶺(うちみね)グスクの入り口でしたが、一般の人々はそこから中に入ることができませんでした。そのためこの場所から拝んだといわれます。現在はガジュマルの根元に香炉がひとつ置かれています。
印部土手石(ハル石)
琉球王府時代から明治時代まで、田畑の面積を測量するための基準点として使われてきました。石には土手の所在地(原名)とひらがなの「い、ろ、は」などが刻まれています。現在は、町指定の文化財となっています。
南風原小学校のガジュマル
戦前からあったガジュマルで、戦禍にも耐えて残っている老木です。樹齢は不明で、今も校庭で子どもたちの成長を見守っています。
●MAP