チャレンジする勇気を胸に大きく羽ばたき輝く姿
どんな飛行機?
これは鳥のように翼を羽ばたかせながら飛ぶ「羽ばたき式飛行機」と呼ばれるもので、弓の弾力を活かし、鳥の翼を模した羽を付け、その羽は足を上下させて動かしたのです。初飛行の時には予想以上に高度が上がってしまったため、命綱を託されていた妻が慌てて引っ張ったため、バランスを失って自宅の台所付近に落ちてしまったという逸話もあります。
18世紀後半、鳥のように大空を羽ばたいた人、それが南風原町津嘉山に住んでいた「飛び安里」です。津嘉山の仕立森(したてぃむい/現在の津嘉山小学校)から津嘉山公民館までの150m~200m近くを飛んだとされています。「鳥のように飛んでみたい」という人類の夢を実現させ、世界初の動力飛行で知られるライト兄弟よりも何と100年以上も前の快挙として語り継がれ、高津嘉山(たかつかざん)には初飛翔顕彰碑も建てられています。
人物については諸説あり、安里周富(あさとしゅうふ/1748~1799年)、安里周當(あさとしゅうとう/1765~1823年)、安里周祥(あさとしゅうしょう/1797~1867年)の3人が挙げられていますが、最も有力なのは周當です。琉球王朝のお抱え花火師だったとされていますが、その人物や設計図等の資料は少なかったのです。しかし、長年にわたりその偉業は伝承され、資料集も南風原文化センターが販売しています。
「飛び安里」初飛翔顕彰記念碑
「ライト兄弟より早く飛んだ男を記念した碑」
首里から津嘉山に移り住んだ安里周當(あさとしゅうとう/通称「飛び安里」)は、1780年頃仕立森(したてぃむい/現津嘉山小学校)や高津嘉山から、大空を飛ぶことに挑戦し続けたといわれています。
その勇気と初飛翔を顕彰し、1991年に記念碑が建立されました。
【場所】南風原町字津嘉山970
【駐車場】なし