ガジュマルで覆われた照喜名商店
(2015年1月に道路拡張のため、閉店)
大名(おおな)は与那覇(よなは)の久米原(くめばる)、宮城(みやぐすく)の大名原(おおなばる)・宮城原(みやぐすくばる)の3つのヤードゥイ(屋取/移住してきた人々が開墾してできた)集落を合わせて、1951年に新しい行政区として誕生しました。
大名の守り神、御神屋(うかみや)
昭和の初め頃、大名でボヤ騒ぎなどの不祥事があった時、モー小(広場)の鉄棒に白い鳥が止まって北へ飛び立つという噂が広まり、災いの前触れではないかといわれました。そこで、大名から子(ね)の方向にあり、琉球王朝時代、中山(ちゅうざん)第一の鎮守として信仰を集めていた弁ヌ御嶽(びんぬうたき)から神をウンチケー(歓請)し、1954年9月23日に御神誕生を祝いました。今でも大名の守り神として、崇め信仰されています。
摩文仁家(まぶにけ)の墓
摩文仁家は、第二尚氏(だいにしょうし)王統第十代尚質王(しょうしつおう)の次男・尚弘毅(しょうこうき/1647年~1687年)が始祖。その墓は大名にあり、11年間、摂政を務めた功績により国王から贈られた拝領墓で、築造年代は不明です。観音開きの入り口や墓内の石柱、漆喰で仕上げた天井、琉球石灰岩を切石で積んだ壁など、住居風の造りが特徴です。1970年7月14日、町内唯一の県指定文化財に指定されました。
ヒージャーガー
その昔、東方から首里に上がるとき、長い坂道に差し掛かる場所にあり、通行人が渇きを癒し、休憩する泉となっていました。しかし、雨が降ると街道に水があふれ歩行に困難をきたしました。そこで、1769年、知念筑登之(ちねんちくどぅん)らが呼びかけ、井戸を堀り石を積みました。1990年、町の文化財に指定されました。
上の井(いーぬかー)
共同井戸(むらがー)のひとつで、毎年、集落のウマーチヌ御願(うがん)に、ムラの顧問や評議員が6カ所の井戸をまわり、拝んでいます。古老の話によると、当時は6カ所の井戸の中でも、この井戸の水が一番おいしかったそうです。現在では、雑用水に利用されています。
王妃の命の水
兼城按司(かねぐすくあじ)の長女・真呉勢(まぐしー)は、尚円王(しょうえんおう)の最初の王妃です。王妃は体が弱かったため、ある日、首里城に登城する際、大名のトゥンモーで貧血をおこし意識を失ってしまいました。おつきの者が近くのトゥンガーから水を汲んで飲ませたところ、その清水で王妃は意識を取り戻しました。それからは、トゥンガーに差し掛かると、必ずそこの水を飲んでから城に向かうのが習慣となったそうです。村人たちもトゥンガーを拝所(うがんじゅ)として拝むようになりました。
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