第二次世界大戦中、かつて喜屋武にあった炊事場から黄金森の陸軍病院壕までの足場の悪い山道を、艦砲弾や爆弾が降る中、ひめゆり学徒隊が命懸けで食糧を運んだ「飯上げ」。その追体験を通して平和の尊さを感じてもらおうと、6月23日の慰霊の日、親子「飯上げ」体験が文化センター主催で開かれました。
町内外から参加した26人の親子は、文化センターから陸軍病院壕近くまでの約200mの山道を、当時を再現し、食糧を詰めた一斗樽(だる)を天秤棒で担いで運びました。比嘉聡太君(南小6年)は「樽は重いし道は険しいし、とても疲れた。ひめゆり学徒隊の皆さんはとても大変だったと思います」と感想を話しました。
体験終了後、飯上げしたご飯を文化センターで試食しました。当時の食事は、ピンポン玉ぐらいの大きさに握られたこのご飯が1日に1個だけだったそうです。平良優弥君(南小1年)は「1日にたった1個だけなんて、当時の人たちはとてもお腹が空いていたと思う。戦争はもう起きてほしくないです」と話しました。
険しい山道を「飯上げ」する参加者ら