南風原町では、明治の頃から花織の技法を母から娘へ伝承した形跡があり、現在も改良されながら織り続けられています。また古老からの聞き取り調査で、明治後期に織られた花織り手拭を出征する兵士へ贈り、持ち帰ったその手拭を大正初期に使用していたといいます。 その後、大正3年4月に南風原村立女子補修学校が設立され、たくさんの村内婦女子が花織、斜文織などを収得し、その技術は先代から伝わる花織の技術も手伝って、喜屋武八織、照屋花織など独自の花織、浮織の技法を確立しました。 戦後は、生き残った人たちが貧窮生活の中からあらゆる材料をかき集め、再び織物の生産に励みました。現在もその技術は受け継がれ、自分達の伝統的な技法と柄を守ろうと、意欲的な生産を続けています。